2017年6月9日金曜日

やわらかに、すべやかに

岡野大嗣さま


ありがとうございます。本当に嬉しくて、三ヶ月も経ってしまいました。


 土曜日の午前のうちに目がさめて陽につつまれてあくびすること


これは岡野さんに触発されてできた歌です。せっかくなので続きを書いてみます。


 自分より背の高い窓あけて風やわらかに全身おしかえす

 すべやかに地球の表面なでてから髪、睫毛、眼球なでた

 うららかと言うにふさわしい午後がもうすぐそこまで迫りきている


書きながら明らかに前の歌と違うことに気がついて、これはやはり連作というより続きなのだろうと思います。
私も往復書簡つづけたいです。ゆっくり行きましょう。


藤 明日香

2017年3月1日水曜日

味のする風

午後の授業ってAMラジオって感じで耳に心地いいよね

プリントであおいだ風はぬるくって馬のあくびに生まれたような

窓枠にぶらさげた手に風が来てルーズリーフの穴を抜けてく

犬が風かんじてるのを盗み見てたらこっちにも来てくれた風

春風が倉庫の窓を揺するのをマットの耳は歌とおもった




藤 明日香さま

こんにちは。
たまにはこんな回があってもいいかなと思って短歌を置いていきます。最近、短歌をよくつぶやいておられますよね。それに触発されて。
1900年初頭の船便でも、もっと往復できていそうなペースになってしまいましたが、この往復書簡は続けていきたいです。

岡野大嗣

2016年1月1日金曜日

お弁当

岡野さま

あけましておめでとうございます。
すっかり冬ですね。職場は雪国なので、11月ごろから積雪を覚悟して日々を過ごしていたのですがまったく積もらず、とうとう雪景色を見ないまま関東に帰省することになりました。

遠足の子どもたちと電車で遭遇するのは私も嫌いではありません。自分もそうだったなと思うからです。幼稚園のとき、ドアが開いて閉まるまでの短い時間で皆がちゃんと乗れるように、電車に乗る練習をして、遠足に臨んだ気がします。それで「よみうりランド」の駅で降りて、遊園地に行くための長い長いエスカレーターに乗ります。肝心の遊園地での記憶はなくて、ただそのエスカレーターの場面だけを覚えています。終着地点は見えず、永遠に続くかのようにその先は森の中に消えていて、まさに異世界への入口だったなあと思います。

そこでお弁当を食べた記憶もやはりないのですが、幼稚園では給食がなくお弁当だったので、そちらの記憶は鮮明に残っています。私は、お弁当の時間が本当に憂鬱でした。お弁当を全部食べられないことで先生に怒られ、食べ終わるまで席に残されたからです。毎日、皆が昼休みで遊んでいるなか一人で冷たくなったお弁当を前に途方に暮れるしかなかった。「どうして残すの」と怒られるのですが、なぜ食べられないのか自分でもわからないのです。特段きらいな食べものが入っているわけでもないのに。食べなきゃいけないと思えば思うほど胸がきゅーっとなって喉がつかえて、それ以上食べられなくなってしまう。でもその頃はまだそんな状況を説明できるだけの語彙もなく(そのことも焦れったくて悔しくて)、ただただ黙って泣いていました。

その後、私は親の都合で引越しをしました。新しい幼稚園は給食でした。そこでもやはり全部食べられません。また怒られるのだろう。それでも勇気を振り絞って先生に「食べられません」と言いに行きました。怒られに行くなんて恐怖以外のなにものでもないけれど、申告しなければ帰してもらえないと思ったからです。先生は私をじっと見つめ、そして意外な行動に出ました。抱きしめたのです。私は驚きました。怒られこそすれ、どうして抱きしめられるのだろう。先生は何も言いません。ただ強く、強く私を抱きしめました。私は絞り出されるように、ぼろぼろ、ぼろぼろ泣いてしまいました。
次の日から、私は少しずつ元気になっていきました。相変わらず給食は全部食べられませんでしたが、憂鬱ではなくなった。胸のつかえがとれ、食べることが恐怖ではなくなった。先生に救われたんだなあと思います。

誕生日、おめでとうございます。
おいしい御馳走とともに素敵な誕生日とお正月を過ごされますよう。

藤 明日香

2015年11月11日水曜日

水筒のふた

藤 明日香さま

こんにちは。
季節ごとに一度の往復書簡、のつもりが、出だしから返球が遅くなってしまいました。
夏のお便りに夏の話題を返すべきところでしたが、もう11月ですし、秋の話題を。

9月半ばから10月末にかけて、遠足の児童の声で電車がにぎわうことがありますよね。通勤の時間帯なので「やっかいなのに遭遇したな」という顔をしている大人がほとんどですが、僕はそんなに嫌ではありません。好きかというとまた違うのですが、どきどきします。彼らに出くわすと、ある記憶がとても生々しく甦るからです。

近ごろはリュックからサーモスを取り出すモダンな子もいますが(量が足りるのか心配)、ほとんどの児童は肩から水筒をぶらさげています。その色とりどりの水筒を見ていると、初めて行った遠足のこと、それも、あるひとつの出来事を鮮明に思い出します。幼稚園の年少のときですから、遠足とぎりぎり呼べる遠さの、近い場所への遠足です。それがどこなのか、そこで何をしたのかはさっぱり覚えていないのですが、おしりの下にたくさんどんぐりがあって痛かった記憶を糸口に、お弁当を食べた芝生公園が目の前に広がります。何人かごとのグループに分かれて、それぞれ小さなレジャーシートを広げて寄り合っています。ひろい芝生は緑の海で、そこにいくつかのカラフルな島が浮かんでいるようです。ぼくのいる島は木の下で、海は他の場所より剥げていて、土はほんのり湿っています。クマのワッペンのついた黄色のゴムバンドを外してお弁当箱のふたをあけると、サッカーボールの丸いおにぎり、タコのウィンナー、マヨネーズまみれになったブロッコリー、たまごやきの断面が現れます。好物のプチトマトが3つも入っているせいで、サッカーボールはすこしへこんでいる。ものすごくうれしい気持ちになったぼくはそのあと、同じくらい悲しい気持ちになります。八代亜紀さんの「悲しみの法則」という曲に「振り子のように悲しみの法則は湧き上がる」というくだりがありますが、喜びのあとに悲しみが同じ大きさで来るこの法則を、物心ついてからの人生でこのときはじめて経験します。お茶を飲もうとして、水筒のふたがどうしても回りません。めいっぱい力を込めて回すのですが、だめです。先生は何かとても忙しそうで、声をかけることができません。それでぼくは結局その遠足を、お茶を飲めないまま過ごしました。

家に帰って母にそのことを伝えると、母は泣き出してしまいました。ごめんねごめんねと繰り返して、それから、なんでせんせいにいわへんかったん、と泣きながら両肩を揺すってきました。リュックの中で水筒のふたがゆるんでお茶が漏れだしたりしないように、母はいつもよりきつくふたをしめていたのでしょう。善意がからぶりして息子を傷つけてしまったことで自分を責める気持ちと、ふがいない息子を責めることで自分をなぐさめようとする気持ち。頭の中がぐちゃぐちゃになったのだと思います。幼いぼくは母と一緒に泣くことしかできませんでした。そのときの母は今の僕よりひとまわり以上若い年だったことを思うと、今さらですが、ぼくのほうこそごめん、という気持ちになります。

最後に、お誕生日おめでとうございます。
ぎりぎりすべりこみで間に合って良かったです。


岡野大嗣

2015年9月10日木曜日

この夏、北に来て

岡野さま


 こんにちは。
 このたびは往復書簡の提案をお引き受けいただき、ありがとうございます。季節ごとに一度の更新ということで、滑り込みで2015年夏の分を書きたいと思います。

 さて、この夏。
 まず、暑かったですね。私は4月から北のほうに住み始めたのですが、アパートが夏よりも冬のための設計で、仕事から帰ってくると部屋にものすごく熱がこもっていて、北に来たのに全然涼しくない! とひとりで憤っていました。でも夜になると一転して涼しい風が吹いてきて、ああやっぱり北の地に来たんだなあと感慨深げに窓辺で涼んでいたりしました。
 9月の今はもう完全に寒いです。長袖にカーディガンです。夏だと言い張ってこの文章を書いていますが、秋だと思います。そちらはどうですか。まだ夏ですか。

 この夏は、学芸員として初めて関わった展示が完成した季節でした。
 夏休みということで子供たちもたくさん来てくれて。館内を駆け回ったり、熱心に展示をみつめて絵を描いてくれたり、短歌のおみくじを引いて「これどういう意味ー?」とかって一緒に来たおばあちゃんと話をしていたり、プレゼントのシールをあげたら照れくさそうにお礼を言ってくれたり、にぎやかで、うれしい夏でした。仕事なので、大変なことも多いけれど、こんなふうに短歌に関わることができて単純によかったなあと思います。
 主催している短歌コンクールで、いいなあと思う歌があったので紹介します。小学二年生が詠んだ歌です。

 さんかん日弟いっしょについてきたにてるにてるとみんなあつまる(渡邉龍生/『桜実』より)

 長くなってしまいました。季節の変わり目、ご自愛ください。それでは。


藤 明日香

追伸
 つい先日発売になったミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』のカバーに、津村記久子さんが文章を寄せられています。ぜひ見てみてください。

はじめに


 1月1日と11月11日。
 短歌が好きで、津村記久子さんと柴崎友香さんが好きなふたりの、それぞれの誕生日です。
 というわけで、往復書簡「ポッキーとプリッツ」、はじめます。